▲美しい鉄道員

最後の狼1

8:22








「美しい鉄道員」 おはなし:イジニョン さしえ:キヨンスン


最終章 ヒョソンの願い


「パパ、この人、誰だか知ってる?」
ヒョソンはきれない花束が描かれた葉書を、お父さんに差し出しながら尋ねました。今日は新年最初の日。朝早くトックッ(韓国のお雑煮)を食べて、お正月の挨拶をするために病院へやってきたところ、ナースステーションの前で顔見知りの看護婦さんが、お父さん宛ての葉書が届いているわよと渡してくれたのです。
「・・・」
葉書を受け取り、読んだお父さんはわからないなというふうに首を振りました。
葉書にはきれいな文字で次のように記されていました。


「花よりも美しいキムさん。
手術の結果は良好、すでに義足をつけ、熱心にリハビリをなさっているとニュースで聞きました。
スターピーチの花言葉は、変わることのない永遠の愛だそうです。
キムさんはまさしくそのスターピーチのように、永遠に変わることのない愛の花の香りです。
近々キムさんのその花の香りに、もう一度ふれるために、必ずおうかがいいたします」


そして葉書の最後の部分には以前のように、また名前の変わりに美しい花束が描かれていました。
お父さんの宝箱(※1)には、同じように名前の代わりに花束が描かれた葉書が3通ほど入っていました。
忘れたころになると1通づつ、そういう葉書がお父さんに届いていたのです。
そのたびにヒョソンは、もしかしたらその葉書の送り主こそが、インターネット上の掲示板「美しい鉄道員」(※2)に“花束”というIDでお父さんの安否を気遣う書き込みをした人なのではないかと考えるのでした。
そこに今日もまた、そんな葉書が来たのです。
ヒョソンもお父さんと一緒に、その葉書を何度も何度も見ている時でした。
「おじさん、お元気でしたか?」
病室のドアを勢い良く開けながら、誰かが元気に挨拶をしました。
金浦に住むスンファンお兄さんでした。
スンファンお兄さんもお父さんに新年の挨拶をしました。
「やあ、スンファン、よく来てくれたね。きみも元気だったかい?」
「スンファンお兄ちゃん、いらっしゃい」
ヒョソンはお父さんと一緒にスンファンお兄さんを歓迎しました。
小学六年生のスンファンお兄さんは、両足が不自由な身体障害者です。
でもスンファンお兄さんは週に1度はバスに2時間以上も乗ってお父さんを楽しげに訪ねてきてくれるのです。
お父さんのお見舞いに来てくれたことで、初めて知った人でしたけれど、お父さんとスンファンお兄さんは旧友同士のように親しい間柄になりました。
スンファンお兄さんはいつも笑顔でした。
そしてヒョソンにも本当のお兄さんのように接してくれます。
ヒョソンはそんなスンファンお兄さんが大好きです。
お父さんと握手をしたスンファンお兄さんが、唐突にお父さんに質問をしました。
「おじさん、僕の夢はなんだと思いますか?」
しばらく考え込んだあと、お父さんはこう言いました。
「わからないなあ」
「うーん、おじさんみたいな鉄道員になることですよ」
「ええっ?」
お父さんは目を丸くしました。足が不自由なスンファンお兄さんが、健常者ですらつらい鉄道員の仕事をしたがっていることに驚いたのです。
でもお父さんはすぐににっこりと笑って言いました。
「ああ、そうなのか!」
お父さんの言葉にスンファンお兄さんもにこにこしながら話を続けました。
「ええ。それで汽車に乗って釜山を出発して、ソウル、平壌新義州、元山、清津、羅津、豆満江ウラジオストック、モスクワを経て、フランスのパリまで言ったら、再びその汽車に乗って韓国まで戻ってくるんです」
「おお、そいつはいい」
お父さんはハハハ…と笑いました。
「じゃあ、スンファンのためにもおじさんが必ず鉄道員に復帰しなくちゃならないな」
スンファンお兄さんも大きな声で笑いました。
「そうです!そういえばその通りですよ!ははは」
でもスンファンお兄さんの笑い声がやむと、お父さんは真剣な表情で言いました。
「ところでスンファン、おじさんの元々の故郷がどこだか知っているかな?」
「どこなんですか?」
スンファンお兄さんが問い返すと、お父さんはさらに深刻な表情を浮かべて言いました。
「実は北の方なんだよ」
「え、本当ですか?」
「うん、うちの両親は、実は6・25(ユギオ)の時、平安南道の順川から南下してきたんだよ」
「そうだったんですか」
「ああ、だからおじさんの願いもスンファンと同じく、汽車に乗って必ず両親の故郷に行こうということなんだ。母が生きているうちにね。ははは」
お父さんは楽しそうに笑いました。
「じゃあ、おじさんと僕の夢は同じですね。ははは」
スンファンお兄さんも、お父さんにつられてまた大きいな声で笑いました。
病室の中に、ぱあっと笑顔の花が咲きました。


そういえばおばあさんの故郷は北側です。
その晩ヒョソンは韓国の地図を広げて、休戦線ができる前に南北に汽車が通っていた道をひとつひとつ指差しました。


釜山、プサンジン、ムルクム・・・永登浦、ソウル、ケソン、平壌新義州・・・元山、フンナム、ハムフン清津、羅津、アオジ・・・フンチュン、シベリア・・・


そして誓いました。
自分も大人になったら、お父さんとスンファンお兄さんみたいに、立派な鉄道員になることにしようと。
そうして汽車に乗り、お父さんが最初に鉄道員生活を始めた釜山から、ソウル、平壌新義州豆満江はもちろん、中国とロシア、フランスまで、統一された祖国を横断し、得意顔で走ってみるのだと。




「パパ、もうすっごく上手に歩けるようになったんだね」
冬休みを利用して、ジュンソンお兄さんと一緒に智異山の青鶴洞に礼儀作法の勉強に出かけていたヒョソンが病院についた時、お父さんはちょうど病院の廊下で一生懸命リハビリの訓練をしていました。
「をを、ここままいけばお父さんも、今年はイヒワン大尉みたいに5キロマラソンに挑戦してみるつもりだよ」
イヒワン大尉は、2002年6月に日韓共同開催のワールドカップが行われていた最中に、北方限界線(NLL)を越えてやってきた北韓警備艇と争い、北韓軍の砲弾を受け足を失った海軍のおじさんです。
そのときイヒワンさんも、お父さんみたく片方の足を切断しましたが、熱心にリハビリの訓練をして、今はまた海軍に復帰、一生懸命軍人としても道を歩んでいる、誇るべき軍人さんなのです。
イヒワンさんはお父さんが左足の切断手術を受けたあと、病院に直接お見舞いに来て、お父さんを励まし、リハビリについての助言もしてくれました。
それ依頼、お父さんはいまもこのイヒワンさんと連絡を取り合い、親しくおつきあいをしているのです。
ヒョソンはお父さんに駆け寄り、声をかけました。
「うわー、パパ、がんばれ!」
ジュンソンお兄さんもお母さんと手をつないで、お父さんに走りより、声援を送りました。
「おとうさん、がんばれ!」
「お、うん。ははは」
「ほほほ」
「へへへ」
病院の廊下にヒョソン一家の笑い声があふれます。
その時です!
「あの、もしや、キムヘンギュンさんでいらっしゃいますか?」
さっきから廊下の片隅で、花束を抱えたまま、お父さんが歩く姿を無言で見守っていた一人のおばさんが、ためらいがちに近づき、お父さんに話しかけました。
「私がキムヘンギュンですが…」
お父さんが答えた時、ヒョソンはふとこのおばさんが抱えている花束に、すごく見覚えがあるような気がしました。
花束?
花束?
花束?
その瞬間、稲妻のように1枚の葉書がヒョソンの目の前に浮かび上がりました。
その花束は、お父さん宛ての葉書に描かれたあの花束とそっくりだったのです。
ヒョソンはついに葉書の花束を、実際に目にしたのです。
ヒョソンはその花束が本当にきれいで、すばらしいなあと思いながら、しっかりと目を閉じました。


その時、
カタッ トッ、カタッ トッ・・・
お父さんの義足と杖を突く音につれて、花束を持ったおばさんの足音も、だんだんと遠ざかっていきました。



      • ※1 全国から寄せられた激励の手紙をしまった、キムヘンギュンさんの大切な宝物入れ。
      • ※2 「カフェ」(または「インターネット・カフェ」)と呼ばれる、ダウムの会員制の掲示板。キムヘンギュンさんの事故のニュースを聞き、感動した人が、キムさんを応援するために作ったもの。いまもなお、愛に満ちた、激励の文章が投稿され続けている。 http://cafe.daum.net/beautifulrailman 外国人も会員になれるけど、たしか韓国国内の住所が必要だったはずなので、加入したい方は韓国人のお友達にお願いして、住所を貸していただきましょう。





>絶ちゃん
○一応…たぶん、ハッピーエンドなんでしょう。けど、なんか…うーん。
○子供向けの絵本形式のためか、やけに文章がくどいので、一部省略している単語があります。逆に伝わりにくそうな部分は補足しているところもあります。